TPH SCHOOL  課題学習  小論文

 (    )組 (    )番 氏名(                  )

表題(日露戦争~最強の軍事力を誇るロシアはなぜ敗れたか~)


 当時、世界屈指の軍事国家として畏れられていたロシア。なぜそのロシアが近代化したばかりの弱小国家日本の、付け焼き刃のような軍隊に敗れるようなことになったのか。偏に軍事力だけでは日本にまず勝ち目は無かっただろう。それでは、ロシアの敗因は何だったのだろうか。また、日本の勝因は何か。

 戦場においては一つに国民性、一つに指揮官の能力が挙げられるだろう。日本は長年主従関係で培われてきた忍耐力、命令への絶対服従性、そして統一性を国民性として有している。このため、戦争後期の陸軍は劣勢ながらも耐えていけた。一方ロシアは、元来完璧な要塞を築き上げ、完全な勝利を目指す、そのような戦い方をしてき、その戦い方が定着していた。そのため、少しでも劣勢になろうものならすぐ退去していくのである。実際に戦う兵の考え方は、戦果に大きな影響を与えたに違いない。また、兵を統べる指揮官の差というのは、自国の内情をよく反映している。当時、ロシア国内では政治腐敗が蔓延っていた。官僚らは己の出世だけを考えるようになっており、その内情を戦場にまで持ち込んだ。その結果、他の将軍の手柄になるようなことならば、たとえ相手に大打撃を与えられる後期だとしても、断じて行わなかった。戦地の将軍が官僚的な考え方を持ってしまったがために、互いの協調性が失われてしまったのである。指揮官同士が別々の矛盾しあう命令を出すので、情報は錯綜し、兵はさぞかし混乱しただろう。他方、日本国家はまだ初々しく、純粋にお国のため、天皇陛下のために、とそれだけを考えているようであった。陸軍総参謀児玉源太朗は苦戦している戦場まで自ら赴き、見事崩し得なかった要塞を陥落させたのである。

しかも、両国の指揮官自身の能力にも差があったのだろう。ロシア陸軍指揮官のクロパトキンは、先述のような退きつつ戦うという戦術で臨んだ。戦術自体は悪くない。長年ロシアはこの戦い方で勝ってきた。問題は、彼自身が臆病だったであろうことだ。少しでも予想を越えた攻撃を受けると、迷わず即座に退去し、新たな半要塞を築いた。ただ、日本の物資輸送・補充には大打撃を与えたが、日本人の国民性ではそれは耐え抜くことができた。また、バルチック艦隊と呼ばれる第二・第三太平洋艦隊の指揮官であったロジェントウェンスキーは、本来官僚的な将軍であった。本国から指令を出すのに有用な人物なのだが、艦隊派遣を提案したがために、皇帝ニコライ二世から指名を受け、戦地に赴くはめになってしまった。つまり、ロシアはその人の特性を活かすことができなかったようでもある。だが、日本の指揮官は有能であった。陸軍総参謀の児玉は様々な情報を元に、物事に対して柔軟に対応した。劣勢であろうとも指揮官である彼が動じないことは、部下、しいては兵たちにとっても心強かった事だろう。ただ、やはり有能とはいえない人物もいた。八木希典の参謀であった伊地知は、難攻不落の要塞に対して、ただ兵を突撃させていただけであった。もちろん、回を重ねるごとに微妙に修正して徐々によくはなってきていたが、それでも突撃させるということを止めずに、ここで多くの兵が倒れることになった。本国にいる兵も少ないため無駄な攻撃は日本にとってかなりの痛手であり、また、攻略せねば戦争自体への勝利はありえない場所だったので陸軍はかなりヒヤヒヤしていたようだ。しかし、児玉の機転によって自ら指揮をとり、数日で陥落させたのである。それに、軍部が海軍総司令官に東郷平八郎を選出したことは、この上なく賢明な判断だった。東郷はここに至る前に、昼行灯のように見られ、そろそろ軍を辞めるだろうと思われていた人物である。なぜ彼が選ばれたのか。その理由は「運がいい」からであった。しかし彼がいなければ、彼の下に付いていたもの達の真価は発揮されなかったであろう。彼は作戦をすべて参謀秋山真之にまかせ、自身は無駄な事をいわずそれを承諾し、命令するだけにとどまった。彼は辛抱強い人であり、敵が撃ってきてもこちらの射程範囲内でない限りは一切砲撃の命令を出さなかった。日本軍部の知略の功であろう。

戦場においては上記のようなことが原因であったと推測される。だが、戦争とは戦場だけでするものではないし、戦っている国だけが関係しているわけでもない。以後、そのことについて述べてゆく。

ロシアから見た日本は弱小国家であり、自分達よりも劣っている人種であった。そのことは、皇帝ニコライ二世が日本人を「マカーキ(黄色い猿)」と呼んでいたことからはっきり分かる。そのため、何があろうと勝てるという慢心を持っていて、油断をしていた。劣勢でも余裕をかましていたのである。しかし、実は日本軍は思いのほか強かった。冒頭に付け焼き刃のような軍隊と書いたが、実際には日清戦争も経てより強力になった立派な近代国家の軍隊である。秋山好古の提案で作られた秋山騎兵隊という騎兵部隊も存在し、世界最強といわれたロシアのコサック騎兵隊を翻弄しつづけた。戦艦も最新型のものが多数あった。

それに、実はロシアは内部がボロボロであった。先述のように政治腐敗が横行し、本国から指令を出す人々も無能であった。本国にいる官僚達は戦場に飛ばされなかったこれ幸いと自分の立身出世だけを考え、戦場のことは戦場に任せっきりであった。バルチック艦隊は第二太平洋艦隊にあとから第三太平洋艦隊が加わったものなのだが、それが加わるまでの長い間を第二太平洋艦隊は気候条件もよくない熱帯辺りで待たされた。兵の士気は衰え、臆病になり、船が見えると日本軍ではないか、と怯えるようにもなった。そのおかげで、他の戦地で苦戦していた日本海軍は、それを攻略し、準備を万全に整える時間を得たのである。しかも、加わる第三太平洋艦隊とは、国にあった老朽艦ばかりで構成されており、第二太平洋艦隊の機動力を大いに削ぐ、まさに「浮かぶアイロン()」に過ぎないものだった。トン数だけで計算したロシア本国の決定が、敗北へつながった。

さらに大きなロシアの敗因は、国内外に敵を作りすぎたことだろう。国内では違う人種を差別し戦場へどんどん送り込み、結果その人種が日本に勝ってほしいということをうちあけ、日本はロシア国内の脆弱さを知った。近隣諸国やユダヤ人は軍事力でロシアに征服されており、多大な不満を抱いていた。しかし、自分らではどうにもできなかったところに日本がやってきてロシアと戦い始めた。近隣諸国は軍事力でどうにもできない分、金銭や政略的な面で日本に貢献した。急激な軍隊の近代化を行ったことで借金の多かった日本には恵みの雨ようなものだろう。しかも、ここから始まった政略的な裏工作が戦争終結の主導権を日本に与えたのである。また、同盟国からも見捨てられた感が強い。その裏には日本と同盟を結んでいたイギリスが大きな鍵を握っている。イギリスはアジアにおける統治権を得たが、ロシアが南下して来、くいとめたかった。そこで目をつけたのが日本だった。イギリスは日本と同盟を結び、日本が勝てないまでも打撃を与えようとしたのだ。つまり、この戦争においてイギリスは積極的だった。他方、ロシアの同盟国はフランスとドイツだった。軍事的なつながりだけによる同盟だった。最初、バルチック艦隊の派遣にあたって悪質のロシアの石炭より良質なイギリスの石炭が欲しかった。そこで、ドイツ・フランスに頼んで間接的にイギリスの石炭を買おうとしたのだが、実際に艦隊が石炭を積み込もうと湾に入ると、出ていくように言われたのである。イギリスがドイツやフランスに「ロシアに石炭を売るなら貴国にも石炭を売らない」と通達してきたためである。さらに、ドイツ・フランスも強国イギリスとは敵対したくないためロシア軍の入港を拒んだのである。結果悪質な石炭しか使えなかったバルチック艦隊は、黒い目立つ煙を上げつつ本来の速度も出せないまま日本海戦にあたった。

最後に、なぜ日本はロシアに勝つことができたのか。ここまで書いてきたことでは、日本は善戦をした程度にしか思われないだろう。実は、事実その通り、善戦しただけなのである。史上では1905年に終結しているが、それ以降も戦いつづけていれば、間違いなく日本は敗れていただろう。当時の軍部の予想でも勝ち負けは五分、もしかするとそれ以下というほどであった。それほどにまで日本軍は追い詰められていたのである。陸軍の生命線である本国からの輸送路は、軍がユーラシア大陸の奥まで入り込んでしまったためにほとんど使い物にならなかったし、講話の直前、ロシアは本国から兵を大量に送り込もうとしていた。しかし、それではなぜ日本は優勢の状態のままで講話に持ち込めたのか。その理由は、もとより勝ちに固執しなかったことにある。ロシアに勝つのは不可能だと分かっていたのだろう、戦争が始まった時からすでに日本は講話の準備を進めていた。そして先述のようにユダヤ人等から支援を受け、様々な人の間を渡り歩き、ロシアについての情報も得た。講話のためにたくさんの画策がなされ、ついにアメリカと話をつけ、いつでも講話に持ち込めるようになったのである。そして、日本の優勢のピークが来ると即座に講話に持ち込んだ。ロシアもその時劣勢だったので早く戦争を終わらせてしまいたいと思ったのか、講話に臨んだのであった。

日本が勝ったかどうかはまた別の判断を下すとして、ロシアが敗れたのはこういったためである。

 

 

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参考:坂の上の雲一巻~八巻(司馬遼太郎)


これは去年総合的学習の時間に書いた小論文です。読んでておかしいと感じたり、同じこと繰り返してるじゃねぇかとか言われても知りません。提出したのをそのまま写してるだけ(一箇所の誤植のみ訂正)だし、提出期限が翌日に迫った夜書き上げたものだし。

最近更新してないから、これがあるの思い出して載せる事にしました。


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